社長・山田耕治ストーリー

社長 山田耕治ってどんな人?

1959年1月生まれ、AB型
動物占いによると「かわいいタヌキ」
「小さい頃は良く泣いて、一晩中泣いて何故泣くのか考えてもわからなかった。」と今でもオフクロに言われます。小学校・中学と結構活発だった事を覚えています。私の妻は、小学校の時の同級生。机を並べて勉強した仲です。


結婚そして家族

妻とは小学校時代の同級生で、鼓笛隊でも一緒でした。中学からは別々のところに進んだので結婚出来たんじゃないかと思っています。Uターンで就職して、電車通勤ですぐに再会。結婚する時には一級建築士の資格を取ってからと思っていたので、真面目に勉強をして、何とか合格。そして26歳の時に結婚して貰いました。

結婚当時、おじいちゃん・親父・お袋・弟の6人家族からスタート。
嬉しい事に3人の子供に恵まれました。その後、子供達も3人の子供達も大きくなり、それぞれの生活を始めたために 2013年現在は、ぎやかだった家は落ち着いて母・私・妻の3人で暮らしています。

家業に入った時はまだ肩に力が入りすぎており、仕事ばかりして家や家族の事は後回しだったので、今でも当時の事を振り返る時にはよく妻から「仕事のほうが大切だったよね。」「ほとんど家に居なかったよね。」なんてからかわれます。まだまだ色々な事があるとは思いますが、「はっぴい」な家族でいたいと思っています。


就職

静岡では中堅の建設会社で、現場監督の仕事でした。大きな建物から小さな建物まで。県立大学薬学部棟新工事や岡部町庁舎新築工事など大きな物件から小さな物件まで。今でも、当時の会社の上司や同僚と仲良くさせてもらっています。

特にその就職時代は、建物の事・組織の事・考える事・いかに楽しく遊びにそして飲みに行くのか、など色々な勉強をさせてもらいました。


家業に入る、そして「はっぴいリフォーム」の誕生

そんな仕事も楽しくなってきた頃、突然親父が病気になり入院。この時家族会議を開き、山田工務店をたたむか続けるか話し合いました。親父は病院のベットの中で「この商売は大変だから山田工務店は一代限り。会社をたたむ事にしよう」と言ったが、継続を決意。弟が先に勤めている会社を辞めて、次に私が入社すると言う順番で 山田工務店に入社しました。

当時を振り返ってみると、私が目標としていたのはゼネコンと言われているような会社でした。短期間でちょっとしたゼネコンと呼ばれるような総合建設会社にしようとかなり力んでいました。

ですから、地元焼津の事を知るためにいろいろな団体にも入会し営業活動を開始しました。最初の頃は順調で戦略的に150号線沿いの仕事を熱心に受注をしたりしていました。

が、ある時気付いたのです。「楽しくない」「全然楽しくない」。忙しいし、まわりからは「凄いね」なんてお世辞でも言われるといい気になって。でも、「楽しくない」「何かが違う」と、違和感をずっと持っていました。

しかもその頃から、大型物件の受注も大変になり簡単に受注できなくなってきました。と同時に木造住宅の新築物件も受注出来なくなり、住宅リフォームの分野に特化していったのです。

「なぜ、仕事をするのか。」「どんな仕事をしたいのか。」「なぜ、私は、この建築という仕事を選んだのか。」「この仕事を通じて何を表現したいのか。」など、随分悩みました。
※この時、悩んだ経験から、「ミッション」「クレド」が生まれました。

もともと親父も(子供の自分が言うのも変ですが)どんな小さな仕事も熱心に仕事をしており、(リフォーム=こそくり仕事と言われたりもしていましたが)こそくり仕事でも楽しく仕事をする事が自然と出来ていたので、お客さんから「ありがとう」という感謝の言葉も貰う事が出来て「これこそ私達の理想とする仕事だ」という感じで次第に仕事に熱中していきました。

そのときからが「はっぴいリフォーム」の誕生です。お客さんの数が増えるにしたがって社員数も増え、組織を作ったり、社員教育をしたり、また自分も勉強したりと楽しく仕事をしています。 お客さんとお金だけの関係でなく仕事をさせてもらう楽しさを感じています。


はっぴいハウスの誕生

小さいながらも長年にわたって地元の工務店をやっていたので、新築といえば「ヒノキの柱でヒバの土台」と材料にこだわり、材木は豊橋にある材木問屋にロングボディのトラックで乗りつけて直接仕入れる事がコストダウンだと考えていました。床柱などの銘木は奈良県にある材木問屋に注文する事がお客さんへのサービスだと考えていました。お客さんにとって良いだろうと自分達が勝手に考えた家づくりの技術にこだわって、こだわって。これこそが山田工務店の造る家だ。お客さんが望んでいる家だ。と勝手に信じて造っていました。

ところが、リフォームの仕事を通じて多くのお客さんと知り合い、多くのお客さんから話を聞かせて頂き、多くの現場を知ると今までの常識は非常識だったのに気付いたのです。工務店として造りたい家とお客さんが本当に望んでいる家とが違っていることに気付いたのです。気付くのに大変な時間がかかりました。

こだわらなければいけない場所が違っていたのです。そこで全てを見なおした所、「合理的な家」づくりが出来るようになったのです。コストの仕組み。在来軸組み工法。デザイン。本当の意味での使いやすさ。建ててからのメンテナンスの容易さ。「はっぴいハウス」が誕生しました。「はっぴいリフォーム」が生まれてから4年後の事です。

全てを見直す。と言っても簡単な事ではありませんでした。問屋さんを通さずにメーカーと直接交渉しようとしてもメーカーに相手にされず、何度も交渉を重ね、同時に「はっぴいリフォーム」で結果を出す事でメーカーにも認められる様になりました。
また、全国各地の勉強会に参加したり、その勉強会を通じて親しくなった住宅会社に教えてもらいに行ったりする事で、自分達の考え方が正しいのかを検証した結果出来上がったのです。


はっぴい不動産の誕生

家と土地は繋がっています。新築・リフォームと住宅を専門にやっていくうちに土地の問題を解決出来ない事に気付いたのです。お客様に依頼される事が次第に多くなってきました。そこで、不動産部門として、「はっぴい不動産」を立ち上げました。「良い事は良い。悪い事は悪い。」例えば、お客さんに合わない場合、「この物件はお勧めできません。」と、はっきりお客さんに伝える事をはっぴい不動産の特徴として取り組んでいます。

これからも微力ながら、この仕事を通じて地域貢献できればと考えています。